アメリカの「歴史遺産」という栄誉を得たシェルビー・コブラ・デイトナの数奇な運命

シェルビー・コブラ・デイトナ・クーペ(Photography: Michael Furman)



ブロックは先の著書の中で、1965年11月2日にキャロルがグッドイヤーのレーシングディレクターであるトニー・ウェブナーからかかってきた電話について述べている。そのときボンネヴィルでは、クレイグ・ブリードラブのスピリット・オブ・アメリカがアート・アルフォンスのグリーンモンスターと地上最速の座をかけて戦っていた。後者はファイヤストン・タイヤを使用しており、タイヤメーカーの戦いでもあった。規定では、グッドイヤー・チームがもし車を走らせることができなければ、ソルトフラットにおける彼らの記録はないものとなってしまう。スピリットはそのときトラブルに見舞われていたのである。もちろんメカニックたちはレースに参加できるよう必死の努力を重ねていたが、ウェブナーは無理とみてキャロルにコブラをここで走らせられないかと懇願してきたのである。

シェルビーはこう答えた。「ショップにある車の中で走らせられるのは古いプロトタイプだけだ。そいつはかなり使い込まれたもので1時間もつかどうかも保証できない。しかもロードレースのセッティングがされているから、レコードブレーカーのレースを走るには不向きだと思うけど」と。

ウェブナーは、とにかく車を送ってほしい、スピリットが走れるようになるまでソルトを走る権利を保持するには君の協力が必要なんだと伝え、シェルビーは了承した。そして以前レーシングクルーのチーフだったトム・グレートレックスに最善の努力をするよう言い渡しすべてを任せた。それからは時間との競争だった。丸1日かけて古いエンジンはリビルドされたものに載せ換えられ、タイヤも新品のものが付けられた。CSX2287はトレーラーに載せられ、グレートレックスは15時間の旅に出た。

彼は到着するやひとりで車を降ろしテストのため走った。それを見たレコードブレーカーのドライバー、ブリードラブとボビー・タトロウはコブラにリアスポイラーが付いているのを見て、なんで余計なものを付けてきたのだと思ったそうだ。「これまでドライブした車の中で最も邪悪なものだね」とまで言い放ったタトロウにも耳を貸さず、グレートレックスは一度外されたリアスポイラーを再度付けるよう促した。結果は……、スポイラーを付けて走ったブリードラブとタトロウはその速さに度肝を抜かれた。車は格段に安定し、自らが持つ国内記録の187mph(約300km/h)を20mphも更新したのである。その12時間後、CSX2287が23の国内および国際スピード新記録を樹立したことが正式に発表された。


390bhpを出すV8エンジンは、この車がレースに勝つことだけを考えて作られたことをよく表している

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編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation: Hidehiko OZAWA Words: Winston Goodfellow 

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