なぜ「フォードGT40」は伝説のレーシングカーと呼ばれるのか?その秘密を探る

Photography:John S Allen,Ford,LAT



マーク2B
1967シーズンにマーク2は改良版の「マーク2B」に進化、それに伴って従来のモデルはマーク2Aと呼ばれることになった。主な変更点は軽合金シリンダーヘッドの採用、キャブレターの追加、オイルタンクの配置変更、またFIAが定めるラゲージボックスをフロントに設けるためにスペアタイヤもフロントからリアデッキ下に移された。フロントブレーキの冷却系も改良され、冷気をノーズから取り入れる代わりに熱気をラジエター背後から抜く手法に改められた。写真はプジョーのガレージ(!)でル・マンに向けて準備作業中のマーク2B。 




1967年ル・マン
フォードは狙い通りに2年連続でル・マンを制覇した。二度目のル・マン勝利は、キャロル・シェルビーとマーク4の活躍によるものだった。マーク4にとっては2度目にして最後のレースだったが、おかげでマーク4は100%の勝率を残すことになった。いわば"アングロアメリカン"のGT40とは異なり、マーク4は設計・製作のすべてがアメリカで行われ、アメリカのチームによってレースを戦ったマシーンである。自分たちの実力を世に知らしめ、ラップレコードなどの戦利品を手に入れたことに満足したアメリカ・フォードは、フォードの威信を保つことを英国フォードに託し、スポーツカー選手権から撤退する。




ワークスチーム
1967年1月1日をもって閉鎖されるまで、フォード・アドバンスド・ヴィークルズは英国のスラウに本拠を置き、レーシングカーの製作と販売、そしてプライベートチームへのサポートに当たった。写真は1966年ル・マン24時間に向けてプライベートチームの車を組み立てるワークショップの様子である。



編集翻訳:高平 高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:John S Allen

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