なぜ「フォードGT40」は伝説のレーシングカーと呼ばれるのか?その秘密を探る

Photography:John S Allen,Ford,LAT



1964年ナッソー
またしても新しいノーズ・デザインを与えられた2台のGTがナッソーでのレースのためにカリブへ遠征した。だがタイトコーナーばかりでほとんどストレートがなく、しかもバンピーなバハマのコースにはまったく歯が立たず、1台はサスペンショントラブル、もう1台はヘッドガスケットのトラブルに見舞われた。このリタイアをもってフォード・アドバンスド・ヴィークルズ(FAV)のワークスチームとしての役目は終わり、GTプロジェクトは米国へ移されることになった。新しいパートナーはシェルビー・アメリカンである。




1965年デイトナ
2台のGTがシェルビー・アメリカンに届くやいなや、それらは完全に分解、リビルドされた。何より重要なのは289cu-in(4.7L)の鋳鉄ブロックエンジンのパワーとトルクに対応すべく、コロッティ製ギヤボックスが強化されたことである。それは見事に功を奏して、シェルビーにとって初参戦のデイトナを完走したばかりでなく、優勝と3位を勝ち取ったのである。12時間と27分をかけて2000kmを走破した過酷なレースでGTはそのスピードとスタミナを証明した。ここから新しい時代が始まったのである。




スパイダーの開発
1965年のフォード・アドバンスド・ヴィークルズ(FAV)の役割は、GTからGT40に名前が変更されたマシーンの製作、および先行開発だった。それまでクローズド・クーペはル・マンで勝ったことがなかったために、FAVは4台のスパイダーを作り上げた。確かにスパイダーにはいくつかの長所があったが、ボディ剛性などに弱点を抱え、スパイダーボディは1965年限りで姿を消してしまう。だが、その計画は後に復活する。フォードはマクラーレンに依頼して作ったアルミ製シャシーのロードスターで、グループ7のカンナム・レースへの挑戦を模索したのだ。車重が重いという難点はあったものの、1966年はじめに一般的なボディに改造されたその車はセブリング12時間を制してみせた。残念なことにその後バラバラに解体されてしまったという。



編集翻訳:高平 高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:John S Allen

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