ピンクフロイドのニック・メイソンの名車フェラーリ250GTがレースカーとして復活するまで

フェラーリ250GTO



1960年代のドライビングスタイルで乗りこなす
マーティンには事前にGTOの現状を伝え、レースで優勝する可能性は低いが、事前にきちんとテストをすると約束した。実際、テストは行った。だが、セットアップ変更を確認し、大量のダンロップLセクションタイヤからまったく同じ性能のものを選び出している作業の途中で、雨によって中止せざるを得なかった。この事実はマーティンに伝え忘れたかもしれない。車は明らかに速くなり、テスト中に私は前年の優勝ペースで楽に走っていた。こうなると、冷静であるべきテストドライバーもつい浮かれ、分析が疎かになったようだ。そのせいかどうか、金曜の予選で初めてドライブしてマーティンは、見るからに驚愕した様子で、「ものすごく恐ろしい」と言った。それでも、見事6番手のタイムを出していた。テストでは1周1秒も速くなっていたのに、結局グリッドは前の年よりひとつ上がっただけなのは少々がっかりだった。前年にポールを獲得したEタイプのボビー・レイホールでさえ、同じタイムを出しながら今年は5位止まりというほど、ライバルたちは速くなっていた。

マーティンはブレーキに不満を訴えていた。そこで、私が担当した土曜の予選では、無理をして差を縮めたところで大して得るものはないだろうと腹をくり、違う特性のブレーキパッドを試すことにした。ところがブレーキを踏むたびにリアが狂ったようにロックするようになった。まるでコーナー手前の減速で思い切りハンドブレーキを引いているような感じなのだ。だが、それを除けば私にとっては慣れ親しんだ状況だった。現代の基準で見ればこの車を「恐ろしい」と感じるのは私にも理解できる。しかし現役時代もそうで、今でもそのままなのだ。現代の車は車高が低くて接地感が強く、できる限りすべての仕事をフロントタイヤでやろうとする。遅めでハードなブレーキングを可能にすることで荷重をノーズにかけて下に押さえつけ、自信を持ってクリップを狙えるようにできている。

これに対して1960年代初期のGTカは、車高が高めでサスペンションが柔らかいから、常に"ふわふわした"状態だ。低速コーナーではトラクションをかけるために慎重なアクセルワークで車を押さえつける。フォードウォーターのような高速コーナーへはよりスピードに乗って滑らかに飛び込み、ロールでアウト側のタイヤに荷重が載るようにして、コナリングに必要なグリップを得る。あとは右足の操作でバランスをとり、カウンターステアによる補正は最低限に留める。問題は、いったん飛び込んだらラインを変えるのが非常に難しいということだ。その上、荷重移動に失敗したが最後、車はグリーンに飛び出すか、テールスライドに陥って、必死にコントロールする羽目になる。ブランドルが気づいたように、単純に内側へ放り込めば何とかなるといったものではないのだ。しかも、はるか彼方からブレーキングを始めなければならないので、何かが前方をふさごうものなら、グリーンに出て避けるかもっと悪い事態もあり得る。そういう瞬間には、こうすれば良かったという筋書きが2000万通りも頭の中を駆け巡ったりする。

だが1963年には状況が違った。この車は単なるレースのための道具に過ぎず、エンジンと同じように消耗品だったのである。写真で見ると、ひっかき傷があったり、へこんだりしているものがあんなに多いのだ。ついには、あれほどGTOで活躍したジョン・サティースも、ある時から、もうGTOには乗りたくないと言った。ロータス・エリートやMGAにぶつかる可能性が高過ぎるし、フェラーリではF1に集中したいからという理由だった。同じグッドウッドでも50年後に走る私たちは、そんなふうに超然と立ち去るわけにはいかない。そこで私は理にかなったセットアップ変更を提案した。決勝は一番いいタイヤセットで臨む。スタートはマーティンの担当だ。

テストでいったい何をやっていたのかとマーティンがいぶかっても無理はない。だが、彼の情熱が陰ることはなかった。金曜のディナーの席ではライバルが抱える問題を詳しく聞いて回り、そこにつけいる戦略を練って携帯メルで送ってよこしたのだ。F1出走158戦を誇った男がここまでやったのである。

迎えた決勝。スタートはいつものことながら大混乱だった。ただ、最初に少し順位を落としても「接触してリタイアするよりマシだ」とレース前に決めていたとはいえ、マティンは明らかに1周当たり2秒かそれ以上ロスしているのだ。ドライバーの責任ではないはず。ピットインして来なかったので、真っ先に浮かんだのは、私が指示した変更でハンドリングがひどくなってしまったのではないかということだった。あるいはギアを1個失っているのかもしれない。予選中も何度かそういうことがあったと言っていた。

いよいよ私の番が来た。ブランドルのファンを喜ばせていたドライバー交代の練習が功を奏し、絶妙のタイミングでセーフティーカーが入ったこともあって、4つ順位を上げた。嬉しいことに、車のバランスは「恐ろしいがノーマル」な状態に戻っており、ブレーキも問題ない。だが、ペースの上がらない理由が分かった。エンジンが6000rpmまでしか回らず、レブカウンターの針が狂ったように踊っているのだ。ほかの計器類は正常なところを指しているのだから、今あるもので最善を尽くすしかないと腹を決めた。

その結果、私たちは5位フィニッシュを果たした。トラブルの原因は、ハイテンションコドが1本外れていたことだった。エンジン音はそう違わなかったが、レス通して11気筒で走っていたのだ。結局、新しいエンジンを載せる以前とまったく同じ状態だったのである。まあ、そんなものだ。ただ、RACTTセレブレーションでこの車にとっての最高位を獲得したとはいえ、落胆せずにはいられなかった。この年の"ホ
ットロッド"たちのラップタイムを思えば、事前にレースの神様から5位を差し出されたら受け取っていただろう。だが、表彰台も楽々手に入る絶好のチャンスを奪われた気分だったのだ。それでも、翌年のグッドウッドに向けて私たちはすぐにもテストを始めるつもりだった。今度は、雨天順延もできるように...。

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