ピンクフロイドのニック・メイソンの名車フェラーリ250GTがレースカーとして復活するまで

フェラーリ250GTO



ずっとオリジナルを守ってきた
ニックのGTO(シャシーナンバー:3757GT)は、もはやレーシングカーとは言えない。読者はそんな馬鹿なと思われるだろう。なにしろこのGTOは、1962年6月にエキューリ・フランコルシャンにデリバリーされると、初レースとなったル・マンで総合3位、GTクラス2位を獲得。それ以来、モンレリーやデイトナ、グッドウッドなど毎年何らかのレースに出てきた輝かしいヒストリーを持っている。だが、ここで私が言いたいのは、現状ではレースができる状態にはないということだ。現代のヒストリックレースに参加する車は、モノクロ写真に残る当時の雄姿のままだが、中身はまったく異なり、現代のヒストリックカーレースの規定に合わせた仕様に適合(改造)されている例が多い。それゆえに、走りは昔とは別物と化している。それらの大半はストリップダウンしてシャシーから仕立て直され、サスペンションはより低く硬く、ジオメトリーさえも違い、ブレーキも強化されている。もちろんエンジンにもパワーアップが施されている。アメリカンV8やジャガーの6気筒は長年の間に、大幅なヒストリックレーサーとしての開発が進んでいるが、その最大の理由は量産品であるがゆえに数が多く、比較的安価なことだ。当然、それはイタリアン・サラブレッドには当てはまらない。今ではすっかり希少になり、いうまでもなく、はるかに高価である。

ニックはこのGTOを1978年から所有しているが、その間、一度もシャシーとボディを分離するような大規模なレストアをしたことはない。ボディは塗装とわずかな補修を除けばまったくオリジナルのままで、シャシーとインテリアもそうだ。シートもオリジナルのもので、黒い革は名だたるドライバーが座ったことで茶色く擦り切れている。初期のグッドウッド・リバイバルでニックと私は何度もこの車で走ったが、懸命にドライブしても年を追うごとに順位は下がる一方だった。フォードウォーターとラヴァントではほとんどの相手を抑え込めるのに、その後ウッドコートまでのストレートで抜かれてしまうのだ。どのドライバーも使う言い訳ではあるが、GTOのエンジンは3Lで、コブラの4.7Lはもちろん、ジャガーの3.8Lと比べても小さく、それらのようにアップデートも受けていない。

ニックは2年以上前から、一方的な展開になるのは目に見えているし、事故のリスクも大き過ぎるからと参戦をやめていた。それに、この車に乗りたがる有名人はもう現れそうになかった。ニックと組んで走ったことのあるゲルハルト・ベルガーは、喜んでまたグッドウッドで走りたい、ただし「レースができる車ならば...」と言っている。もちろん一般論だろうが......。

ニックはオリジナリティーを尊重する一方で、少しばかり方針を転換することにした。誕生の瞬間からこの車に搭載されていた貴重なオリジナルのエンジンは取り外して保管し、別の250エンジンをレス用に仕立てて搭載した。GTOが現役だったころにグレアム・ヒルたちは終始9000rpmまで回していたというが、私たちは貴重なエンジンを労って7500rpmを生真面目に守ってきた。それが8000rpmまで上げられるようになったのだ。その差は驚異的で、少なくとも1周3秒、ウッドコートの速度は15mph(約24km/h)上がる計算だった。だが、シャシーとサスペンションはそのままとした。

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