美しい流線型の"ラウンドドア"ロールス・ロイス|巨大ボディに塗り重ねてきた驚きの過去とは

Photography: Scott Williamson



ラウンドドア
だが、この流線型のボディでほかと一線を画しているのは、なんといっても左右の丸いドアである。蝶つがいが後方にある“スーサイド”タイプで、半月形の窓は中央で2つに分かれており、複雑な巻き上げ機構で扇状に開閉することができた。

車は1936年初めのカンヌ・コンクール・デレガンスまでに完成し、そこで最優秀賞を獲得したという。だが、その後の所有者については定かな情報がない。はっきりしているのは、1940年代初めまでに大西洋を渡っていたことだ。アメリカが戦争に突入する直前の1941年にメイン州バーハーバーで目撃されている。お抱え運転手はでっぷりした体つきで、素早く降りて雇い主に手を貸すことにも苦労していたという。

次にラウンドドア・ロールスが表舞台に登場するのは1950年代初頭で、このときは、ニュージャージーの廃品置き場で無残な姿をさらしていた1952年に東海岸のコレクター、マックス・オビーがニューヨークでこの車に目をとめ、買い取ろうと試みたが、オーナーは売るのを嫌がった。粘り強いオビーは、新車のコンバーティブルを購入すると、意地を張っていたオーナーにラウンドドア・ロールスと交換することを承知させた。

オビーは34歳の元軍人で、クラシックカー・クラブ・オブ・アメリカ(CCCA)の創立会員だった。妻のセシルは、ニュージャージー州パラマスを拠点に「オビーの名車ショー」という見世物を運営し、キャデラックの1931年シリーズ452スウィープサイドV16スポーツ・フェートンといった珍しい自動車を移動遊園地やショッピングモールで見せていた。オビーは、ラウンドドア・ロールスを光沢のある黄金に塗り変え、6ポンドの金粉を使い、透明なラッカーを17回も塗り重ねたと話していた。さらに、天井の赤いベルベットとフロントシートを張り替え、毛足の長い白いカーペットを敷いて、ショーに登場させた。真実はそっちのけで、オビーはこんなことを吹聴していた。「この見事なロールス・ロイス・スポーツカーは、10万ドルかけて1934年に英国王エドワード8世、現ウィンザー公爵のために作られたものです。公爵が1937年に3万ドルで売却したときは『ライフ』誌が特集を組みました。その年に王位を投げ打ってウォリス・シンプソンと結婚したのです。作られて20年がたった1954年には、ニューヨークのマジソンスクウェアガーデンで開かれた世界モータースポーツショーでグランプリに輝きました。」

さらには、「前進4速トランスミッションを搭載して120mph以上のスピードが出せる」とか「ボディの製造には4年も掛かった」などとも豪語していた。1954年には、実際に雑誌『プレイボーイ』に取り上げられている。1960年にもオビーの名車ショーは存続しており、『ビルボード』誌によると、ストレートショーという移動カーニバルと共に巡業していたという(ほかの呼び物は、最後の晩餐、巨大ゴリラ、ヒトラーの車、サルの自動車遊園地、ホラーショー、牢獄びっくりハウスなどだった)。


1952年以降、ラウンドドア・ロールスは各地を巡回する見世物となり、突拍子もない逸話が喧伝されていた

編集翻訳:堀江 史朗 Transcreation: Shiro HORIE 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITAWords: David Burgess-Wise

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