美しい流線型の"ラウンドドア"ロールス・ロイス|巨大ボディに塗り重ねてきた驚きの過去とは

Photography: Scott Williamson



実は、物語が本当に始まるのはここからである。4人目のオーナーは、H.スミスという人物で、1935年8月17日にファントムを入手した。その際、住所はブリュッセルのソワ通りウェルカムホテルとしている。この謎のスミス氏こそ、有名な(あるいは悪名高い)ラウンドドア・ロールス・ロイスのボディ製造を発注し、10年前のファントムのシャシーに載せた人物に違いない。スミス氏はコーチビルダーについて面白い選択をしている。ヨンケーレは、ベルギーのウェスト フランデレン州ルーセラーレ市のベーフェレンにあり、創業者のヘンリ・ヨンケーレが1881年に馬車の製造を始めた老舗である。しかし、1930年からはバスの製造に転換し、それ以降は個人用乗用車のボディは作っていなかった。だが、1934年にはモダンな流線型ボディのバスを製造している。フォワードコントロール型のミネルヴァ製シャシーを使ったブリュッセル・トラム社のバスだ。もしかすると、そのなめらかなシルエットがベルギーの首都を滑るように走る姿をファントムのオーナーが見たのかもしれない。古びたフーパーの代わりを作るにあたって、当時まだコーチワークを続けていたもっと有名なディテレンなどに頼むより、ヨンケーレのほうが、ほかとまったく違うボディを作ってくれると考えたのではないだろうか。

この新しいボディのデザイナーは不明で、いったいどこから発想を得たのかについてもはっきりしない。ひょっとすると、映画館でヒントを得たのかもしれない。ちょうどゴーモン・ブリティッシュ社のSF映画『TransatlanticTunnel(大西洋横断トンネル)』が公開されたばかりで、タトラ77やアビー・コーチワークス社の製作した奇妙な形の模型など、未来的な流線型の車が登場していた。あるいは、1935年ベルリン・モーターショーの空力を追求した大胆なボディがお手本となった可能性もある。特に、背後にフィンのあるヤーライ流線型のボディを新しいマイバッハSW35のシャシーに載せたサルーンが注目を集めていた。いずれにしても、着想の元は実に奇抜なものだったに違いない。

全長22フィートで、車重は7200ポンド(3266kg)だというから、ヨンケーレ・ロールス・ロイスが走っていたら、どの車も小さく見えたことだろう。長く伸びるテールラインは横から見るとなだらかに下ってすぼまり、そこにフィンが直立している。一方、前面のラジエターには傾斜がついており、両側のヘッドランプは弾丸のような形のポッドに収まっているなど、ロールス・ロイス伝統のローマ神殿のような直立したグリルから大胆にも逸脱している。シートはこぢんまりとまとまった配置で、フロントのシートを倒すとダブルベッドになり、2組のスライド式サンルーフが付いている。リアウィンドウはタトラ風に羽根板が付いており、車内から外は見えるが、外から中は見えない仕組みだ。


深紅のレザーに覆われたインテリアは、同時代のブガッティを彷彿とさせる

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編集翻訳:堀江 史朗 Transcreation: Shiro HORIE 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITAWords: David Burgess-Wise

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