BMWー青と白のエンブレムの半世紀|Jack Yamaguchi’s AUTO SPEAK Vol.3

BMW507




2 アルブレヒト・フォン・ガーツのこと
マックス・ホフマンは、目をかけていた新進デザイナー、アルブレヒト・フォン・ガーツを推薦した。フォン・ガーツは、ドイツ伯爵家系出身で、"グラフ"を名乗っていた。米軍志願、除隊後渡米して、大デザイナー、レイモンド・ローウィに才能を見込まれ、ステュードベーカー社で働いていた。フォン・ガーツは、507とは姉妹モデル、5032+2コンヴァーティブル/ハードトップをデザインした。503は412台が製作された。フォン・ガーツは、その後、コンサルタントとしてヤマハ/日産スポーツカーに関与し、初代日産シルビアは彼の作品と認められている。来日した彼の知己を得、ニューヨーク・イースト36ストリートに構えていたスタジオを訪れた。


3 バブルカーと高級車の2本立て
50年代後半のBMW 乗用車ラインアップは、501から507までの高級車系列と、これとは対極にある"バブル(シャボン玉)カー" のイセッタであった。イセッタはイタリアのISO社から設計を買ったモデルだ。続く二輪用空冷水平対向2気筒派生をリアに積んだモデルが600だ。前面1枚、リア側面1枚ドアの4人乗りだが、基幹車種にはなりえなかった。製品企画役員のヘルムート・ベンシュが推進したのが、通常の形態、つまり3ボックス型の2気筒リアエンジンの700クーペとセダンであった。大株主となるクアント財閥の資力と700がBMWの再生と隆盛に導く。700背後中央の人物がベンシュである。


4 ホフマンのこだわり
マックス・ホフマンは、1950年代アメリカにおけるヨーロッパ高級ブランド・インポーターであり、メルセデス・ベンツとBMWの両方を手掛けていた(!)。ホフマンの意図としては、507は、すでにアメリカで発売していたメルセデス300SLより低い価格を狙っていた。BMW本社は、戦前の328ロードスター・デザインに関与したエンジニア・レーシングドライバー、エルンスト・ルーフがデザインしたボディの実走プロトを製作した。ひとめ見たオフマンは、あまりの醜悪さに即座に拒絶したという。(photo=アルブレヒト・フォン・ガーツ提供)


5 BMWを躍進させた"ノイエ・クラッセ"
これは興味あるプロトタイプで、一見、"ノイエクラッセ(新クラス)1500"に酷似しているが、ワンサイズ小さい。ベースは、ロングホイールベース700LSだが、リアにグラース社製の1L 直列4気筒ユニットを搭載した。ヘルムート・ベンシュの意図としたのは、買収したグラース社の生産設備の有効利用であったが、BMW首脳は、700サイズ小型車へ戻ることではなく、高収益の中大型車路線へ舵を切った。


6 バルブ配置の意欲作"リンゴ"
モーターサイクル畑出身で、二輪史、とくに2ストロークの権威であり、BMW歴史に精通したヘルムート・ベンシュが勧めてくれたのは、最先端技術を盛り込んだレーシングエンジンを搭載したクルマの実戦取材であった。1967、68年ヨーロッパ・ヒルクライム・チャンピオンシップにおいて王者ポルシェ・ベルク・スパイダーへの挑戦を観た。BMWはローラ車体に"アッフエルベック・シリンダーヘッド"を装着したM10直列4気筒を搭載して挑んだ。銀髪痩躯がBMWエンジン開発ディレクター、アレックス・フォン・ファルケンハウゼンで、1973年にミュンヘンで再会した。


7 カーガイ、ボブ・ラッツ
1973年、シリンダー形本社ビル完成前のミュンヘンで会ったのがオーストリア系アメリカ人、ボブ・ラッツであった。のちにフォード・ヨーロッパ社長、クライスラー社長を経てGM 副会長になるという、当時のビッグスリートップを歴任する有名なカーガイだ。彼のオフィスの壁にはBMWRS、2002レーサーの写真が飾ってあった。左は新設したばかりのモータースポーツ、のちにMワークスとなる部長のレーシングドライバー、ヨッヘン・ニアパッシュ。


8 "ドイツ・シェパード"のようなバイク
ふたりのアメリカ人がミュンヘンにいた。1992年から2000年までの自動車デザイン・ディレクター、クリス・バングルと1992〜2012年モーターサイクル・デザイン・ディレクター、デイヴィド・ロブだ。ボブ・ラッツは、独フォードから来たインテリア・デザイナーのハンス・ムートを起用し、「ドイツ・シェパードのような無骨さ」を突き抜けたR90S、R100RSを出した。デイヴィド・ロブの1990年代後半から2012年までのモーターサイクル・デザインのダイナミズムの列挙のスペースがない。


9 BMWの傑作、801d航空機エンジン
1973年、ミュンヘンのテーブルの向こうのヘルムート・ベンシュは、BMW青と白のプロペラと空を象徴するエンブレム、航空エンジンを語った。アレックス・モールトンは、クラシック・ミニなどのサスペンション、自ブランド小径自転車の開発者で、第二次大戦中、英ブリストル航空機社エンジニアであった。アルベルト・ロペツ博士は、BMW動力性能評価部長として、新型120iツインターボの発表に来日した。3人の共通した話題がBMW801d星型14気筒航空エンジンだった。空冷だがエンジンとプロペラの間に冷却ファンを設けている。さらに、エンジンのみでなく、収める空力形状ナセルも供給した。青と白のエンブレムが象徴する技術である。

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Kyoichi Jack Yamaguchi
山口京一、海外執筆名:Jack Yamaguchi
前世、いやモータリング・ライター以前、独BMW、英BSA輸入商社に2年務めた。1958、59年浅間サーキットで開催されたモーターサイクル・レースの同社チームの裏方をやる。1966年、鬼才ライダー伊藤史朗のBMWR69用に注文したが間に合わなかった"秘密兵器部品"を組み込んだクルマの"チェア"に乗り、富士スピードウエイにおける本邦最初のサイドカーレースに挑んだ。

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