サーキットでタイヤスモークの咆哮を上げるミニ・クーパー"クーパーワークスカー"

Photography: Lyndon McNeil、BMW Archives



引退と復活
引退に際して、新型のロードスペック1275Sエンジンが搭載され、サスペンションはレース仕様のハイドラスティックからラバーコーンへ、そしてボディカラーも以前のサーフブルーに戻された。"民生品"とはなったが、まだ多くのワークスパーツが残されたままであった。とりわけノンスタンダードの"S /Hエンジン"の存在は、売却先であったクーパーの代理店、サニーサイドモータース(サリー州トルウォース)にとってはかなり魅力的であったことは想像に難くない(このときの領収証が残されている)。一金1200ポンド也。日付は1967年5月12日。ジョン・クーパーとジンジャー・デブリンのサインが入っている。またリビルト済みのS/Hコンペティション用エンジン・アセンブリーもたった728ポンド13シリングで売却されている。実によき時代だった。

サニーサイドモータースは『The Autocar』誌に広告を載せた。「あの有名な"GPH1C"、走行距離5000マイル」。これにアマチュアドライバーのO.トムセット氏が目を留め、同年6月に購入。氏は"GPH1C"を再びレース仕様に戻し、1974年までウィスコムパークやガーストンダウンのヒルクライム、ブライトンスピードトライアルなどに出場し、記録によればマシンは数箇所に名誉の負傷を負っている。

トムセット氏の没後、グレッグ・へールズが登録書類、ホモロゲーション書類付きで購入し、1986年に再び初期の状態を目指して本格的なレストレーションが開始された。この際、コストはほとんど度外視され、でき得る限り正しいオリジナルパーツが使用された。ボディシェルはアルダーミンスターのアルスコットガレージに送られ、BMC製純正パネルを使用して修復された。サスペンションはラバーコーン、ホイールは4 1 /2×10Jのマグネシウム。ウェーバー45DCOEに後期型のシンクロメッシュ4段、トラネックスのLSDを組み込んだ。約5年を費やしたレストレーションは1990年に完成したがその後2009年まで陽の目をみることはなかった。

このレストレーションでは、クロノメトリック式タコメーター、リストール製レーシングシートなど、その時代の味わいのあるレースパーツ、装備が使われていた。だが、ジンジャー・デブリンがこれらは正確ではないと証言したため再調査が行われ、マイクロセル製ドライバーズシート、スプリンガルのウッドリムステアリング、そしてブルーのインテリアトリムなどが正しいスペックであることがわかった。ナンバープレートは正しいフォントでボンネットに書き込まれ、正しい色の識別テープが貼られている。また外部燃料タンクブリーザーがリアウインドウ周りに正しく念入りに這わせてあるほか、多くのディテールが正しく復元されている。CCKではエンジンは130bhp以上を発揮させようと計画したが、現在はほぼFIAスペックとなっている。つまり、アクリルウインドウと"プライスレス"のアルミパネルボディパーツを除けば"GPH1C"は事実上、ほとんど48年前当時のままである。

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編集翻訳:小石原 耕作 Transcreation: Kosaku KOISHIHARA Words: John Simister 

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