歴史的なグランプリカー"メルセデス・ベンツW196R"が高額で落札された理由

メルセデス・ベンツW196R

2013年7月12日、ボナムスの自動車部門担当ダイレクターが"ファイナルコール"と叫びながらハンマーを振り下ろしたとき、自動車オークションにおける新記録が生まれた。歴史的なグランプリカー、メルセデス・ベンツW196Rについた価格は、1750万ポンド。手数料と税を加えると実に1960万1500ポンド、邦貨換算で29億8714万6844円(主催者発表)にも達する。なぜ、これほどの高価になったのか。その理由をお話ししよう。

すべてのファクトを兼ね備えた名車

希少性。歴史的価値。保存状態。技術的背景と工作。さまざまな要因が真のクラシックカーたる条件だとしたら、コンペティションカーでは戦績が重要なウェイトを占めるだろう。このW196Rにはすべてが揃っていた。

「終わった!終わった!終わった!ゲーム終了!ドイツが世界チャンピオンです!」という、ドイツのコメンテーター、ヘルベルト・ジンマーマンの興奮に満ちた叫びは今日でも有名だ。1954年7月4日、スイスのベルンで劣勢とされていた西ドイツがハンガリーを3対2で下し、FIFAワールドカップを制した。戦後、ドイツの国歌が大きなスポーツイベントで初めて流されたのを聞いたという人もいるほど、感慨深いできごとだった。

同じ日、フランスGPが開催されていたランス・サーキットでは、メルセデス・ベンツW196Rを駆るフアン・マニュエル・ファンジオとカール・クリングが、ワンツーフィニッシュを果たしていた。ダイムラー・ベンツにとって、グランプリレースへの復帰第1戦での勝利であった。1939年に撤退して以来の勝利であり、これから始まる快進撃の序章であった。1954年7月4日はドイツにとって素晴らしい日であった。

カムバックしたシルバーアロー

ダイムラーがランスで見せた圧倒的な勝利は、レース関係者にとっては想定内のことであったが、ダイムラー不在のシーズンを謳歌していたマセラティとフェラーリの二社にとっては、最も望んでいない現実だった。高速コースのランスに投入されたW196Rは、4論のホイールを覆った流線型ボディを備え、ファンジオとクリングは予選を1位と2位で通過し、そのまま誰にも邪魔されることなく、圧倒的な速さを誇示して勝利を果たしたのであった。

その7週間後、ファンジオはニュルブルクリングで開催されたドイツGPで2度目の勝利を果たすと、スイスGPで3度目の勝利を上げ、第1戦と第2戦にドライブしたマセラティでの優勝を加えて5勝を果たして、F1ワールドドライバーズチャンピオンシップのタイトルを獲得した。

デニス・ジェンキンソンは、英国の『MotorSport』誌にこう書いている。

「1934年から1939年の間、メルセデス・ベンツはグランプリレースの強者で、その間、モーターレースに革命的な技術革新を取り入れた。同時に、マシン設計開発のペースも早め、他社にGPレースを諦めさせる状況まで生み出した。1954年シーズンに取り入れる新たなF1へのアプローチでは、ダイムラー・ベンツは、すべてを新しい車に入れ替えると発表した」

W196Rは、1954年シーズン途中での参戦から1955年末の撤退までの14カ月間で、ワールドチャンピオンシップのタイトルが掛かった12戦のGPレースに参戦して9回の優勝を果たし、フアン・マニュエル・ファンジオは1954年と1955年の2年連続でワールドチャンピオンの座に就いた。このほか、彼のチームメートのカール・クリングとスターリング・モスもノン・チャンピオンシップ戦を含めて2勝し、ファンジオも1955年には地元のブエノスアイレス・シティGPで優勝している。

W196Rとほぼ同時進行で、姉妹車である300SLRスポーツ・レーシングカー(W196S)も走らせ、スポーツカー・ワールドチャンピオンシップも制した。



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