イアン・フレミングが007で描いた"ボンドカー"|Jack Yamaguchi’s AUTO SPEAK Vol.1 

ボンドのイメージソースと言われるホーギー・カーマイケル(左)

女王陛下の秘密機関00部、エージェントナンバー007(ダブルオーセヴン)、本名ジェイムズ・ボンドはあまりにも有名だ。

Authentically007–ジェイムズ・ボンドの"機関車(ロコモティヴ)"

私の1962年から足掛け3年のイギリス生活中、すでにイアン・フレミングの原作全14冊中10冊が発刊され、映画も極め付きショーン・コネリー主演2作が封切られていた。ここでは、映画の"ボンドカー"には触れない。忌避している訳ではない。フレミングの第3作、『サンダーボール』は、彼とふたりの脚本家の合作を小説化したものだ。

イアン・フレミングの真正性(オーセンティシティ)から語ろう。ロンドン富裕階級の住むメイフェアのスコットランド家系生まれ、名門大学イートン、サンドハースト士官学校(ただし、任官せず)で学び、ジュネーヴ、ミュンヘン大学で語学を磨いた。ただし優等生ではなく、社会的にも模範人ではなかったらしい。銀行、証券会社に入社したが、さして成果は上げていない。上流階級の例にたがわず、母親の伝手でロイター通信の記者となる。俄然、ジャーナリストとして才覚を発揮した。

1939年、第二次世界大戦勃発で、フレミングは海軍情報部長ジョン・ゴッドフレイ少将の要請で海軍中佐に任官、部長補佐となる。イアン・フレミング、エージェントナンバー17Fは、実戦には参加しなかったが、多々の作戦を計画、実務グループ編成、そしてアメリカOSS(CIAと成る)との連携を遂行した。ボンドの上司Mはサー・マイルス・メッサーヴィ海軍中将、ボンド自身は海軍中佐に任官、CIAのフェリックス・レイターとは度々共同作戦を行なう。

フレミングのボンドが所有した車はベントレーである。第1作『カジノ・ロワイヤル』で登場するのが4½ リッター・"ブロワー"だ。ボンドは、1933年にほとんど新車の’30最終モデルを入手した。第二次大戦中は、丁寧に保管し、戦後の公私の脚となる。ボンドの唯一の個人趣味は自動車とフレミングは記している。

4½リッター・ブロワーについては、あまりに有名であり、本誌にも詳細が掲載されているので開発、仕様には触れない。このクルマのもっとも野趣に満ちた外観は、ラジエーター下部から突き出したルーツ型スーパーチャージャーだ。設計製作者、アムハースト・ヴィリアースは、自動車・航空宇宙エンジニアで、肖像画家としてフレミング像を描いている親友であった。エクステリアカラーは、ブリティッシュ・レーシンググリーンではなく、ボンドの海軍歴を示唆する"バトルシップ(戦艦)グレー"である。

ブロワーは、壮絶なチェースを2度演じた。『ムーンレーカー』では、スーパー悪漢のメルセデス・ベンツ300Sを追うボンドに通りすがりの1932年アルファ・ロメオ8Cが飛び入りし、壮絶な路上レースとなる。奸計に嵌り、アルファ、ブロワーともに大破する。

ムーンレーカー終末、廃車となったブロワーに代わる車がボンドの元に届く。"1953年型ベントレー・マークⅥ"オープン・トゥアラーだ。ブロワーと同じグレー・エクステリアーにダークブルー革シート。マークⅥは、ロールス・ロイス傘下に入ったベントレーの戦後のモデルで、1949-52年が公式生産期間だ。フレミング作品中の車は、コノサー間にモデル、時系列についての論議を呼ぶ。

負傷が完治していないボンドは、パッセンジャーシートに試乗し即決、メカニックに次の任務の待つフランスの港カレーに持って来てくれと指示する。以後、マークⅥは登場しない。

それも、当然だろう。次の、そしてフレミング作最後の車は、「ボンドのもっとも我が儘な仕様」と形容する"マークⅡコンティネンタル"〜いや正確には〜をベースとしたワンオフである。年式不詳だが「どこかの金持ち阿呆がグレートウエストロード(ロンドン市内から西に走る幹線道路)で電柱に巻き付いた」車を買い取り、ロールス・ロイスにシャシーを直させ、その上にコーチビルダー、H.J.マリナーに特注した角張り引き締まった体躯のパワーフード(アメリカ式にはトップ)コンヴァーティブル・ボデイを架装した。大型バケットシートの2シーターである。

ここでもフレミングは、幻のベントレーを持ち出す。圧縮比を9.5:1に上げた"マークⅥ"直6エンジンを移植したのだそうだ。『女王陛下の秘密機関』では、ボンドはこのエンジンに電磁クラッチ作動のアーノット・スーパーチャージャーを取り付け、さらに高速性能を上げた。ロールス・ロイスが耐久性を杞憂し、保証を取り消そうとしたそうだ。1962年在英期以来、このボンド・コンティネンタルに近いボデイを探しているが、まだ見つからない。

ボンドは、彼が会ったいかなる女性より、この車を愛したという。しかし、彼が車を所有し、車に所有されるのではないというのが哲学だ。名付けて"機関車"、エクステリアは粗い表面塗装バトルシップグレー、内装は黒である。市内チェルシーのフラット前に路上駐車し、何時でも走り出せる状態に保つ。

1964年フレミング没後、イアン・フレミング出版は、複数の作家に007ボンド冒険を委託した。それぞれ、出来栄えはともかく、ユニークな作風で面白い。最多作ジョン・ガードナーの『アイスブレーカー』で北欧に渡ったボンドが駆るのはサーブ900ターボ"銀の野獣"だ。彼はサーブ使いの鉄人エリック・カールソン(1962、63モンテ・ウイナー)、から数時間の左足ブレーキ特訓を受けた。80年代は、多少エコボンドな雰囲気がある。

2008年のセバスティアン・フォークスの邦題『猿の手を持つ悪魔』(!?)の舞台は、60年代に戻り、"機関車"が健在ぶりを示す。最新作、ジェフリー・ディーヴァーの『カルト・ブランシェ』で、現在のボンドが駆るのはベントレー・コンティネンタルGT・W12だ。カラーは"花崗岩グレー"、インテリアはブラックだ。なおフォークスによると、ボンドは父親が遺した60年代ジャガー・Eタイプも所有している。

フレミング・ボンドは、『ゴールドフィンガー』事件で短時間、アストンマーティン・"DBⅢ"に乗る。これは秘密機関所有車で、唯一の仕掛けは前後ランプ照射光の色を変えることができる。公式称号DB3は純レーシングカーで、公道使用には不適当なので、DB2/4マークⅢであろう。



1 Hogy Carmicheal
女王陛下の秘密機関エージェント007ジェイムズ・ボンドの風貌については、映画のショーン・コネリーからロジャー・ムーア経由ダニエル・クレイグまで甘辛多様。作者イアン・フレミングは、作曲者、歌手、バンドリーダー、ホーギー・カーマイケル(左)に似ていると形容する。名曲『スターダスト』で有名で、俳優としても何本かの映画に出演している。フレミングは、ボンドの髪は黒で前髪が右まゆ毛にかかり、右ほほに8cmの縦傷跡が走り、目は冷たく,唇は冷酷と描写する。NBCテレビPR写真の隣の人のいい(?)ゴールドフィンガー風は、名TVホストのジョージ・ゴーベル。


2 Blower
ボンドの最初の車で、第二次大戦前1933年に入手し、戦中大切に保管、戦後の2作で活躍したのが1930年型ベントレー・4½リッター・"ブロワー(スーパーチャージド)"だ。SOHC4398cc直列4気筒に、ベントレー・ボーイズと呼ばれた富裕支援者/ドライバーがアムハースト・ヴィリアース設計製作のスーパーチャージャーを取り付け、高度にチューンした。自然給気原型4½はW.O.ベントレー自身の設計であるが、彼は過給化を嫌ったという。もっともボンド的2席ドロップヘッドを見たのは、1963年ロンドン近郊だが、戦艦グレーでなく、定番BRGなのでセピアに落した。


3 MkⅥ
大破したブロワー廃車後の短期間ボンドが所有したのが53年型マークⅥオープン・トゥアラー。写真の車は、1964年グッドウッド・ロールス・ロイス・ベントレー・ページェントにおいて、ボンド的と印象を受けた51年マークⅥロバート・ピール製軽量ボデイ・2シーター。ボンドはメカニックのパワーアップ提案に、「あとでやろう」と引き延ばしたが、この車はツインスーパーチャージャーで武装していた。


4 contivs speedsix
1962年ブライトン・スピードトライアルズにおける1950-51コンチネンタル・プロトタイプOLG490、ニックネーム"オルガ"と1926—30スピードシックスの2世代対決。当時は、SS1km加速競技で、2台が並んでスタートした。「マジに走るヴィンテージ・ベントレーを見たかったらブライトンだ。ついでに私の設計したヴィンセントをギンギンにチューンした"ネロ"も走るよ」と教えてくれたのがフィル・アーヴィングだった。彼はヴィンセント・モーターサイクルVツイン設計者で、のちにジャック・ブラバムに世界F1チャンピオンをもたらすレプコ620型V8エンジンを設計した。


5 HJMPW
ボンドは、大破したコンティネンタル・マークⅡの2ドアサルーン・ボデイを取払い、H.J.マリナーに特注した無骨なナイフエッジ・2席オープンボデイを架装した。エンジンは、後期型Fヘッド(吸入OHV、排気SV)4.9リッターと推定されるが、フレミングによると、幻の"マークⅣ"のものを移植。これは、60年代末、訪れたロンドン北郊ウィーズデンのH.J.マリナー・パーク・ウオード社。すでにロールス・ロイス傘下に入っていたが、当主はチャールズ・ウオードであった。


6 GT_W12
ジェフリー・ディーヴァーの『カルト・ブランシュ』でジェイムズ・ボンドが乗るのが、最新ベントレー・コンティネンタルGT・W12だ。カラーはグラナイト(花崗岩)グレーで、ブラック・インテリア。ツインターボW12エンジンの最高出力は423kW/6000rpm,最大トルク700Nmを1700rpmから発生する。0-100km所要時間4.5秒、0-160km/h9.8秒。オープン好きのボンドは、次作で新たに加わったコンヴァーティブルに替えるのだろうか。


7 Carte Blanche
ベントレー本社は、『カルト・ブランシュ』初版に際し強烈なコラボを打った。全世界500部限定で、1部1000ポンド(現時点で約15万円)。完売という。本には弾丸が貫通した穴が開き、ページ中にナンバーを刻んだ弾丸が隠されている。本はベントレーのシニアデザイナー、ブレット・ボイデルの造形したアルミニウム製ケースに収まる。


8 Aston Martin DB2/4
フレミング・ボンドが使った秘密機関所有のアストンマーティンは"DBⅢ"とあるが、おそらくDB2/4マークⅢだろう。この写真は、60年代後半、日本にあったDB2/4だ。マークⅢは改良型で、レーシンモデルDB3と同形グリルをつけた。DOHC直6エンジンは、W.O.ベントレーの設計である。


Jack YAMAGUCHI
KyoichiYamaguchi–山口京一。海外ではペンネーム JackYamaguchiで執筆するモータリング・ライター。1950年代後半、米軍自動車関連仕事から独BMW、英BSAモーターサイクル・インポーターへ。1960年代から自動車ライター活動。在英時期1964年、日本の自動車誌に最初に書いたストーリーが『007とベントレー』であった。米自動車技術協会機関誌WEBアジア担当エディター/フリーランスライター。

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