ジャイアントキラーと呼ばれた常勝マシーン"アルファロメオ・ジュリアGTA"

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メカニックが語るGTA

GTAの常勝時代を支えたメカニックのアルナルド・トンティにマッシモ・テルボが聞いた。



1963年からアウトデルタに勤め、数年にリタイアしたアルナルド・トンティ(右)は、72歳になった今でも、GTA用エンジンのタイミングを完璧に仕上げる数値を忘れることはない。「タイムカードを見ると、私の社員番号は28番でした。アウトデルタが、タヴァニャッコからセッティモ・ミラネーゼへ引っ越した1966年の夏に採用されました。会社ではメカニックとして仕事を続け、F1部門にも行ったことがあります。アルファロメオがフィアットに買収されると、トリノからエンジニア派遣されてきたのですが、彼らはアロイエンジンではコストが掛かりすぎる。アルファロメオの仕事の仕方はハイクオリティすぎる。レースが面白くないなどと、トリノに報告し始めたのです。そこで私は退職することにしました」

アルナルド・トンティは14歳でルミというバイク屋でのメカニックとして働き始めた。アウトデルタ(写真下)では、TZとGTAのレースエンジンの組立を行なっていた。



「いかにもジュリアらしいエンジンです。1.3と1.6、そしてナローヘッド、ツインスパークがあり、その後にインジェクション付きが現れました。メカニックが1台をひとりで任され、他の者には触らせることが禁じられていました。私たちメカニックの間には素晴らしい友情がありましたが、エンジンは自分の"息子"で、台上試験の結果では競争が起こりました。ルールは非常に単純で、最終的な出力の許容誤差は2.2.5bhpで、これを超えたエンジンは破棄されました」

メカニックは各自のスタイルを持ち、エンジンを見れば自分が組み立てたものかわかるというが、それは真実だろうか。

「事実です。私は自分の造ったエンジンがわかります。外見からは判別できませんが、分解してみれば自分の仕事かどうかはわかります。秘密はシリンダーヘッドですね。私たちはアルファロメオからそれを受け取り、ポートを手作業で加工しますが、仕事の丁寧さによって混合気の流れが大きく変わることもあります。出力にはさほど変化がなくても、トルクと回転の速さには大きく影響します」

「通常の手順では、ピストンをシリンダーに、そしてコネクティングロッド(すべて誤差0.05グラム以内でバランス取りする)、ポートの改造と研磨です。わずか10日間で5基のエンジンを完成させるのが決まりで、問題があってもその中で対応することになっていました。何度も徹夜しましたが、情熱もあり、眠りたいとも思わなかったほどです」

GTAの強さの要因はなんだったのだろうか。「沢山あります。優れたシャシー、低い重心、それにパワフルで信頼性が高いエンジンを組み合わせた、クルマのバランスのよさでしょう。リア・サスペンションに対してアウトデルタは"スリットーネ"(スライディングブロックを示す)という考え方を持っていました。車高を低く抑えることでコーナリング・スピードを高め、同時に安定感を増すというものです。GTA特有のフロント内側のタイヤを浮かせるという姿勢も生まれたのです。エンジンは800.7000rpmの能力があり、ランチア・フルヴィアに対抗して7年連続でヨーロピアンチャンピオンシップを勝利することができたのです。また、1.6ℓエンジンながら、2.8ℓと3.0ℓエンジンのフォード・カプリにも優っていました」

それでは最高のGTAドライバーは誰だったのだろうか。トンティは「全員素晴らしかった」と模範回答をしたが、数秒間の沈黙を経て、再び口を開いた。

「メカニックとしては誰が一番クルマを尊重していたのかをわかっていました。トイネ・ヘゼマンは速かったが派手なことは避けましたが、効果的なドライビングで、彼が走った後のクルマは新品同様でした。その対極にいたのがエンリコ・ピントで、彼はすべてを使い切るドライビングでした。ある時のスパ・フランコルシャン24時間では、大柄で体重のある彼はシートレールを破壊してしまい、最後の数周は木の果物箱をシートに使うことになったのです。もし優秀なドライバーを上げるというなら、イグナツィオ・ギュンティ、アンドレア・デ・アダミッチ、そしてナンニ・ギャリを選びます」

「コースで何が起きているか(リアルタイムで)把握できなかった当時は、ドライバーから報告を受けるしか方法はなかったのです。ごく希にエンジンが“爆発”すると、その責任は私達が負わなければなりません。そこでレヴカウンターにスパイ針を付けてみると、ドライバーがブレーキを踏みながらミスシフトしたことがわかりました。5速から1速や2速に入れたオーバーレヴが主なエンジントラブルの原因でした。一度など、スパイ針が13,000rpmを振り切っていたのを見たこともありましたよ」

「エンジンはとても強靱ですが、シリンダーの間が薄いことが弱点で、耐え切れずに冷却水がシリンダーに入ってしまうこともありました。しかし信頼性が問題になったことはありません。ワイパーのモーターが壊れ、ドライバーが手動で紐を引く必要があるなどの緊急修理が必要なことはありましたが。今なら、レースの審査員がなんというでしょうね」

「カルロ・キティはGTAの父で、彼がすべてを考えました。シャシー、セットアップ、エンジンなど彼が自ら想像し、多くの場合は設計図などもなく、工場やその場での思いつきが多かったです。彼はいつもその場にいて、レース期間中は寝る間も惜しみ、ピットで状況を把握していました。強いリーダーで、同時に素晴らしい人柄でした。もし手抜き仕事でもしたものなら、大目玉を喰らいましたが、個人的な問題などについてはどんな手助けも惜しみませんでした」

「ファクトリーでは、"次のレース"ではなく、"次の勝利"はどこで?と聞くのが普通でした。それがGTAのすべてを物語っているといえるのではないでしょうか」


スパ・フランコルシャンで、メカニックのトンティがスティックしたバルブを交換している。レギュレーションでは、ピットストップは31分以内と定められているが。この修理は27分で完了した。

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