BRM V16エンジン|モーターレーシングの愛されるべき厄介者が甦った

Photography: Paul Harmer

BRMの最初のV16エンジンはモーターレーシング史上の愛されるべき厄介者であった。今、その絶叫エンジンが蘇った。

これは大きな仮説かもしれないが、もしも十分な、冷えたメタノール燃料がそのエンジンに与えられ、そして4器のマグネトーがすべて完全に機能したとしたら、押し掛け、または少し引っ張ってやれば爆発的に目覚めるだろう。そしてその後は3500rpmくらいでの安定のアイドリング。

BRMは、このエンジンの開発にあたり、スーパーチャージャーの知識と経験が豊富な、ロールス・ロイスに協力を求めた。RRが手掛けた航空機エンジンのV12「マーリン」や第二次世界大戦中最強のレシプロエンジンと謳われた発展型の「グリフォン」などで培った技術を、GPカーに応用しようと考えたのだ。計測された最大圧は72psi、最大出力は1万2000rpmで550〜600bhpに達した。これは1950年代初期のわずか1488ccのエンジンとしては画期的で、同時代のフェラーリやアルファロメオのフォーミュラ1マシンの出力が380〜425bhpだったことを考え併せるならBRM V16は当然のことながら、相当に速くなければならなかったはずだ。だが、そこに大きな落とし穴があったことを誰が想像しただろう。問題はその使い勝手と信頼性、所定の性能を実現するまでの開発期間にあった。

アウトウニオンはフェルディナント・ポルシェ設計の45°V型16気筒エンジンをGPカーのタイプAからCのモデルに搭載し、大戦中の航空機にはアエルマッキのV型24気筒のような成功例もある。しかしこのように開発と調整に手間のかかる複雑な機構は、BRMのような小規模なところにとっては負担だった。問題のひとつは性能曲線の全般にわたる"やっかいな"トルクカーブだった。回転に伴ってトルクは急速に立ち上がる、つまり一旦後輪が滑り出せばこのトルクが事態をさらに悪化させてしまったのだ。

BRM V16タイプ15スーパーチャージド

第二次世界大戦後のグランプリレースは、イタリア車やドイツ車に席巻され、英国勢はその後塵を拝するばかりであった。この状況から抜けだし、グランプリレースにおける英国自動車工業の威信を取り戻すと言う理念のもとに、1945 年にBRM(ブリティッシュ・レーシング・モーターズ)が設立された。それは英国のモータースポーツ界が横断的に協力した「英国連合」であった。

BRMは、1950年にF1となる1947年の"Formula A"レギュレーションに合わせて、英国連合による初のフォーミュラカーとして、タイプ15(P15)を製作した。開発に当たったのは、戦前にERA(English Racing Automobiles)で1500ccスーパーチャージド・エンジン搭載マシンを設計した、ピーター・バーソンとエリック・リヒター、ハリー・マンディ、フランク・メイらのチームであった。その時点では2300点あまりの可動部品を持つ本番用エンジンのための野心的な習作であった。フロントにトレーリングアーム、リアにド・ディオン・アクスルというサスペンション構造も、また戦前のERA Eタイプから持ち込まれたレイアウトだ。

それは当初あまり役に立たない思いつきのようにも見えたが、BRM V16が生まれた背景にある理論は正しいものだった。スーパーチャージャーは元来空気の薄い高高度での航空機エンジンのために開発されたが、1488ccという小排気量への利用は理にかなっていて、スーパーチャージャー付き1500ccとスーパーチャージなしの4500ccは同等だという、アウトウニオンの理論に従って可能な限り最大の出力を得るために考案されたものだ。

1500ccの16気筒といえば、ピストンの直径は5cmにも満たず、それに相応して小さなコンロッド、バルブ、ファスナーなどが組み合わされる。2基の744cc V8が、カムシャフト駆動のための直立したギアトレインを中心に挟んで背中合わせになっているところを想像していただきたい。V型8気筒エンジンの典型的なバンク角は90°だが、V16のファイアリングオーダーの1-8-4-3-6-5-7-2に合わせると、アングルは45°または135°となり、角度の選択肢は広いが、BRMは135°を採用した。

ヘッドの間には十分な距離があり、バルブ挟み角を80°とし、しかも重心を下げることができた。だが、このレイアウトでは排気は下向きになり、しかもその場所はボディの内側、すなわちコクピット内を通ることになるため、"スパゲッティ"エグゾーストは装着できない。レーシングドライバーのピーター・ウォーカーは、1951 年のブリティッシュGP で足に火傷を負ったことで、排気システムは車外に追い出されたが、「それでもコクピット内は依然としてかなり熱かった」そうだ。

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編集翻訳:小石原耕作(Ursus Page Makers) Transcreation: Kosaku KOISHIHARA (Ursus Page Makers) Words: Paul Hardiman 

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