ロールス・ロイスのマスコット「スピリット・オブ・エクスタシー」誕生の真実

ロールス・ロイスのマスコットをデザインしたのはチャールズ・サイクスである。彼の作品はビューリーで大事に保管されている。そのあるじ、現在のモンタギュー卿がサイクスとマスコットにまつわる様々な話をつまびらかにしてくれた。

数多くの車がひしめくこのミュージアムから、確立された歴史に向けて一石が投じられた。興味深いものはたまに見過ごされることがある。これからお話しする一件もその類いのものだ。芸術家チャールズ・サイクスによって作られたブロンズ像が意外なところからみつかったこと、それだけでもニュースだったが、その背景を掘り下げてみると、知られていないストーリーが次々と見えてきた。

意外なところにそれはあった

「私が真実追求の一助になれれば幸いです」と少しはにかみながら語るのはラルフ・モンタギュー卿である。「私たちはケン・ブリタンとここで意気投合しました。彼は大学での教鞭をやめたあとチャールズ・サイクスの研究にその後の人生を捧げることを決意した研究者です。彼はその目的に邁進してくれました。彼は手を尽くして、サイクスが所有していた製作過程の作品を収めた写真アルバムを入手しました。これまで誰も見たことのないものです。その中に聖母子像の写真もありましたが、大きさを示すものはありませんでした。しかしそれを見た瞬間、私は見たことがあるものだと確信しました」「私たちは外に出て、建物の壁がんを見上げると、たしかにそれはありました。興奮は頂点に達しました。そこで私たちはかつてビューリー・アビーの大きな門番小屋があったところで、いまは宮殿ハウスと呼んでいるところですが、その南側に移動クレーン車を横付けさせました。彫像は風化していましたので注意を払って壁から取り外しました。そして像をよく見ると、確かにチャールズ・サイクスのサインがあったのです」

「驚いたことに、父を含め私たち家族の誰もが、その彫像がサイクスによって作られたものであることを知りませんでした。高いところにあるものに対して、人は疑いをかけようとしません。私たちもそこに彫像があるのは当たり前と思って暮らしてきましたから。実際に改めて見てみると、彫像は周辺の石細工より明らかに新しかったので、おかしいと思えばおかしかったのです。でもそれまでは誰もなぜそうなのかなど、考えようともしませんでした」

彫像の修復を監修したブリタン博士はその発見を知ったとき心から喜んだ。しかも、それはサイクスのたくさんのブロンズ像の中でも最大級のものだったのだ。彼が驚いたことがもうひとつある。ラルフ・モンタギューの祖父であるジョン・ウォルター・エドワード・ダグラス・スコット・モンタギューは、娘エリノア・ソーントンが彼の個人秘書が生んだ嫡出子であることを公表したがらなかったのだが、1903 年に開かれた会がそれを祝う意味があったらしいということを初めて知ったからだ。いまのモンタギュー卿はそのことについて多少の疑念は抱きつつも、「実際そうだったんだろうと思います。別の見方をすれば、秘書との関係を解消したときに彼女への思いを込めたのがあの彫像だったのでしょう。彫像を作る際には宗教的な面からそういう思いを込めなければならないんです」

チャールズ・ロビンソン・サイクスがビューリーのお抱えアーティストだったと考えても不思議ではないが、実際はそうではない。しかし、チャールズ・サイクスと自動車愛好家のパイオニア的存在だったジョン・モンタギューの間は深い関係で結ばれていたことは疑いようのない事実である。その関係性を示す最たる事例が、ロールス・ロイスのために考案されたラジエター・マスコット、スピリット・オブ・エクスタシーなのである。

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