オークションでイギリス車史上最高値を更新した「アストンマーティンDB4 GTザガート」

Photography: Paul Harmer and Xisco Fuster



19台と1台

ちょうどその頃、アストンマーティンはDB4 GT ザガートの進化版として、軽量化したMP209を3 台製造する準備を進めていた。低いノーズと膨らんだリアフェンダー、プレスラインのないホイールアーチが特徴だ。そのうち2 台はシャシーナンバー0191と0193 だが、なぜか0192は抜けている。それが割り振られるはずだった車には、大破した2 VEV のシャシーナンバーである0183 が与えられたのである。こうすれば新車にかかる物品税を支払わずに済む。大々的な修理に過ぎないというわけだ。実際には、MP209として"生まれ変わった" 車に引き継がれたのはバッテリー(とうの昔になくなっている)だけだったのだが。

記録によれば、ザガートボディのDB4 GTは19台製造された(後年のサンクションⅡとⅢは除く)。ただし、2 VEVは2台製造されたので、正確には20台である。最初の1台は、1960 年10 月にアールズコートでのロンドン・モーターショーに展示された。その1年前に発表されたDB4 GTも美しい車だったが、さらに滑らかで空力的に優れた姿は衝撃をもって迎えられた。そのデザインで才能を存分に発揮したのが、ザガートの新鋭、当時23歳のエルコーレ・スパーダである。これが最初の作品で、わずか1週間で完成させたといわれている。その後、数々の名車を生み出すこととなる巨匠の華々しいデビューだった。

公道走行可能な究極のGTと、無駄を削ぎ落としたスポーツレーシングカーの境界が、とても曖昧な時代である。極めて速い軽量なモデルは、それだけでレーシングカーになり得た。DB4 GTとそのザガート版も同様で、どちらもすぐにサーキットへと送り込まれた。DB4 GTザガートの初レースではスターリング・モスがステアリングを握った。モーターショーに展示された車両(シャシーナンバーは奇妙にも連番ではなく0200 )で、1961 年のイースターにグッドウッドでのレースに出走し、3位でフィニッシュしている。

ザガート版は、"通常" のDB4 GTより車内の装備を削り、サイドとリアウィンドウをアクリルガラスにし、スチール製のパーツをアルミニウム製にすることで100kg近く減量して、レーシングカーとしての戦闘力を証明した。MP209は、これをさらに軽量化した進化版だが、剛性では劣り、当初は開発も不十分だった。そのため構造部への負荷がある限度を超えると、サスペンションジオメトリーにずれが生じ、ハンドリングが突然予測不可能な変化を示す傾向があった。

この問題は数年でほぼ解消されたといわれている。しかし、これこそが1962年にクラークがスピンを喫した原因だった。クラークは給油をしてピットアウトすると、そのままコースのイン側を走行していた。給油はレースを続けるためだけでなく、リアタイヤにかかる重量を増やしてバランスを改善するためだった。それでも十分ではなかったようだ。マジウィックにはクリッピングポイントが2個あり、その間にあるバンプは今より大きく、コーナーの内側ほどひどかった。そこをクラークは走っていたのである。2 VEV はバンプに乗ってスピンすると、すぐ後ろを走っていたサーティースの進路をふさいだ。あとは歴史に記されている通りである。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA Words: John Simister 

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